エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

30年のソフトウェア的愛情〜または私は如何にして心配するのを止めてプログラマになったか

自分で初めて書いたプログラムは、ノートに書いた10行ほどのBASICのプログラム。
当時、たしかJR-100を持っている友だちがいて、その友だちの家にいってぽちりぽちりとそのプログラムを入力して。
たかだか10行程度のプログラムにもかかわらず、これが思いどおりに動かなくて。人生初のデバッグ。正しく動かなかった原因は座標の指定の縦横が逆になっていたから。デバッグができて、思いどおりに動いたときの達成感。


記憶違いでなければ、それは1983年の出来事。


気がつけば。それから30年が経っていました。
30年経ってもプログラミングを辞めませんでした。プログラミングを辞めるどころか、それまで勤めていた会社を辞めて、この4月からは職業プログラマになりました。


熱しやすく冷めやすい性格なので、なにをしてもたいして長く続いたことはなかったのですが、どういうわけかプログラミングだけは熱が冷めず。
これまで趣味のプログラミングだったということもあって、熱が上がったり下がったりという波はあったありまして。ときどき中断期間を挟んだりはしたものの。

職業プログラマになって。自分のプログラミングをする時間はめっきり減ってしまいました。5月に身体を壊して入社早々入院するというていたらくで、体力的な理由もあって、仕事が終わるとくたくたで。そうすると人はなにを考えるかというと、楽しいことを考えるわけで。わたしのばあい「あー、プログラミングしてー」となるわけで。プログラミングの仕事で疲れて、それを癒すのにプログラミングしたいと思う自分も、バカの素質あるな、と感じる瞬間。世のプログラミングバカ、プログラミングオタクの末席には並んでいるのかな、と。


30年間、いろいろな方々のお力添えでプログラミングを続けてくることができました。
31年目もプログラミングを続けます。