エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

The Right Stuff - エンジニアの資質

一昨日のワークショップについて。書きたいことはたくさんあるんですが。どうしてもまず言葉にしておきたいことがありまして。



松本潤二さんは自己紹介の中で、20年ほどのあいだにソフトウェアの開発の現場から始まって(中略)今は開発をするチームを作るお手伝いをしている、だから直接には現場に関わっていないかもしれないけれど、今でも開発の仕事をしていると思っている、といった趣旨の話をされました。もっと違うニュアンスだったかもしれませんが、少なくとも「今でも開発の仕事をしていると思っている」と自らを紹介していたのを覚えています。

潤二さんとはセミナーや懇親会の席でお話しさせていただいて、ファシリテータとしてコーチとしてあるいは個人としての姿は拝見していますが、開発に関わっている姿は見てないわけです。当たり前ですけど。でも、開発の仕事をしている姿というのが想像がつくんです。設計したりコード書いたりというわけではないけれど、開発の仕事をしているという感じを受けるわけです。



翻って。
わたくし。
メーカーに勤務してます。
ソフトウェアの開発をしている部門に所属してます。
実際の開発自体は委託しているので自分で設計したりコード書いたりしているわけではありませんが、受け持った部位の開発をまかされています(曲折があって、まかされていた、というのが今は正しい表現かもしれませんが)。

でも。
開発の仕事をしているという感覚がありません。どういうわけなのか。
この一年ぐらいの間、ありがたいことにいろいろな方に相談に乗っていただいて、自分でも考えてみて。だけどどうしてもこの部分がもやもやっとしたまま、自分の中でわだかまったままになっています。


そこで昨日の潤二さんの「今でも開発の仕事をしている」という言葉。



実際のところ仕事への関わり方が違うから、とか、視点が違うから、とか、気の持ち様、とか、あるのでしょうけれど…。ここにはなにがあるのでしょう?




すいません、そもそも結論のない話なので、着地点のないままこのエントリ終りです。ゴメンナサイ。ただ、思考はまだ旋回飛行してます…。