エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

いつ失敗させるか

新しいことをやると、大抵は失敗します。あからさまな失敗でなくても、自分が得たい結果を得るために、最初は試行錯誤。わかっているのに、どうもそれが仕事の話になると、そのことを忘れてしまうようです。わたしも例外でないですが。「仕事での失敗=マイナスの評価」という圧力が、無意識のうちに失敗を考えることを、妨げているのかもしれません。
失敗を排除しようとすると、こんどは、どうやったら失敗しないですませされるか、と身の保全にひとは動くようです。自分のところに失敗が回ってこないようにするにはどうしたらよいか。プロジェクトの成功よりも、そのことを気にかけているんじゃないかと思える人に、時々出会います。

「失敗学」で有名な畑村先生はインタビューの中で、重要なことを学ぶには自分で痛い目に遭うこと、あるいは痛い話を聞くこと、と述べています。
“スーパーSE”板倉先生も著書の中で、スーパーSEになるには、自分で失敗を経験するか、人の失敗を目の当たりにすること、と述べています。

プロジェクトの成功の鍵は、実は、どこかで失敗することを計画に入れておく、ことなのかもしれません。

今回のタイトル、最初は「いつ失敗するか」と考えていました。そのうち、だんだんと、自分が学習するだけでなく、プロジェクトとして学習していくことが必要なのでは、と感じてきました。特に部下になる人たちには、失敗し、学習し、そしてプロジェクトが成功するところを経験させてあげたい、そんなふうに感じます。

さて、我が身を省みて、現在参加しているプロジェクトを点検してみると。新しいプラットフォーム、新しい言語、人員の半分は新たに投入、パイロットプロジェクトはない、開発期間は短い、責任の所在ははっきりしない…。わかってはいましたが、改めて書き出してみると、デスマーチプロジェクトそのものですね。さて、困った。