エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

生成AIとソフトウェア的愛情

生成AIを使ったプログラミングが百花繚乱の昨今。

かつて何度か記事にしたように、30年40年経っても、プログラミングだけは飽きずに続いています。

blog.emattsan.org blog.emattsan.org

ここにきて、人間とプログラミングの関わり方が大きく変わってきました。

職業プログラマになって十余年。 プロのプログラマにとって、この変化は不可避どころでなく、積極的にこの変化を取り込んで踏み台にしていかなければなりません。

なのですが。

個人的には、なぜか興味が湧いてこない。 よく言われるようにプログラミングの楽しい部分が生成AIに持っていかれてしまうから、という理由も考えてみたのですがどうもそれとも違う。 かっこいいコードを自分の力で書くというのは、確かにプログラミングの楽しみの一つではあるけれど、それが失われるというだけで興味が出ないというのはあまりに短絡的。 かっこいいコードを書くのは、プログラミングの一部でしかないわけですし。

上司ともそんな話をして。 その後、何日か考え続けていたのですが。 一番それっぽい理由を思いつきました。

あぁ、これはうつ病の初期症状だ。

ストレスに強くない身体で、かつて短くない期間抗うつ薬を服用していたこともあります。 強い負担がかからないように日々気を付けて過ごしていますが、この数ヶ月は確かにいろいろと特に私的なところで身体に負担がかかっていました。

と、いうわけで。

生き馬の目を抜くような生成AI界隈で、あまり悠長なことは言っていられないのも事実ですが、身体を壊すのももうこりごりなので、見失わない程度には視界におさめつつ、生成AIの時代のソフトウェア的愛情とはなんなのか、考えを巡らせてみようかと思っています。