エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

ライフハック研究会に参加してきました

先送りしているうちに、二週間以上たってしまいました。


数々の書籍やブログ「ライフハック心理学」を書かれている佐々木正悟さんが主催されるライフハック研究会に、去る08/06に参加してきました。
ライフハック自体には多少は関心はあったもののイベントに参加するまでには至らずにいましたが、今回Kazumotoさんがゲストとしてお話しをされると知り、いそいそと参加してきました。

Kazumotoさんについては佐々木さんがブログで紹介されたことをきっかけに知ったのですが、佐々木さんも口にされていたように、うつ病からの復帰にどうしてGTDだったのか、うつ病現在進行形のわたしとしてもそこがともとても関心のあるところでした。


Kazumotoさんのお話では、GTDではありませんが以前から仕事術を実践していたこと、うつ病を患って以前のように仕事ができないそんな状態でもできる仕事術はないかと探してGTDを見つけ実践するようになったこと、具体的には一日の仕事量を決めてから仕事に取りかかることで仕事に集中する(それ以外のことにわずらわされないようにする)ようなしくみにしたこと、などを伺いました。


ブログの中でご自身としては大きなチャレンジだったと明かしていますが、パワフルなひとだなぁというのがわたしの率直な印象です。頭の中のことをノート二冊に書き出したときの様子や、その時々の気分を手帳にマーキングするテクニックなどについても教えて頂き、濃い時間を過ごすことができました。
遅くなってしまいましたがKazumotoさんと研究会を主催された佐々木さんに本当に感謝です。


また、わたし自身も含め、今回の研究会に参加された方の中でうつ病に直接に間接に関わっている方が少なくないんだなぁ、というのが印象に残っています。これもKazumotoさんのブログに書かれているのですが、関わりのある人が少なくないにも関わらず、実際のお話を伺えるこのような機会はほとんどありません。そういった意味でも今回お話を伺えたのは貴重でしたし、またわたし自身も伝えられることを伝えていこうかなと感じました。

しくみとして意識されないしくみ

時間がたってしまったので、自分で気がついたのか、お話の中にあったのか、あるいはまたブログなどで目にしたのか判然としないのですが。仕事術を実践するには、その仕事術のしくみが意識されないぐらいの状態にしないと続けられない(すくなくとも続けるのが大変)だろうなぁ、ということをようやく理解しました。


少し前に本格的に自発的に活動しようとして以前と同じような調子で行動してみたのですが、すぐに気力がつきるという経験をしました。予想していなかったところで突然にカクッと意欲が失われる感じ。病み上がりで身体自体は健康な状態に戻った気がするのに、本格的に身体を動かすとすぐに体力がつきてしまうようなそんな感覚が近いかもしれません。

余計なところにエネルギーをさく余裕がなくなっていることに気付いた瞬間。

気力に余裕がないことを自覚したことで、意識せずに気力を消費せずにシステマティックに事を進めるしくみが必要ということが実感できました。
一方でGTDGTD自体は知っていたのですが、説明されるどおりに手順を踏んでもうまくことが運ぶ感じがなくて実践できずにいました。それがここにきて、余計な事に気力を消耗されないようにするのがGTDのポイントなんだ、と上記の自分の感じたこととGTDがリンクしました。
そして、あらためてKazumotoさんが実践されたことを思い出してみて、なるほどと合点がいった次第。


…で。遅々として進まなかった「ストレスフリーの仕事術―仕事と人生をコントロールする52の法則」を読み進めていたら、後半にはいってちょうどそのこと――意識しなくてもいいぐらいしくみに習熟することが書かれてました。あぁ、やっぱりそうなんだ。

オートマティズム

スポーツにまで話を広げていいものかわからないのですけど、ちょっと気がついたこと。


サッカーの試合を観戦するときはいつも、キックオフの一時間前には客席について選手がウォーミンッグアップする様子とかを眺めています。ちょうどゴールキーパーがアップをするのがいつも陣取っている客席のエリアの近くということもあり、コーチが蹴ったボールを受ける様子などをじっくり見ています。あらためて思うのがその反応のはやさと動作の少なさ。ウォーミングアップが目的なので受けられる範囲にコーチもボールを蹴るのですが、それでも至近距離からくるボールを受けるわけで、余計なことをしている時間はありません。考えている時間さえ。
本当に意識してプレイことが必要なところに最大限のリソースを割り当てるために、それ以外の部分は無意識に心身が反応できるように鍛え上げているんだろうなぁ、と思わずにはいられません。


さらに思い出したのが、トルシエ元日本代表監督が頻繁に口にしていたというオートマティズムという言葉。いまにして思うとこのオートマティズムというのも創造的なプレイをするためのしくみだったのかもという気がしてきます。


拡大解釈かもしれませんが。