エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

情報に手を伸ばす距離

Leopardはじめました。それから一週間が経ちました。もうすぐ次期バージョンがでるというときにレビューもないので、Leopardを使って感じたことを。


Tigerからアップグレードした直後はこれといって代わり映えしない感じがしたんですが、触っているうちに今回のOSの意味がわかってきました。ほしい情報までの距離が違う気がします。少しの違いなんですが、感覚としては大きな違い。
MacはMac OS9の頃から使っていますが、このほしい情報までの距離が、バージョンが上がるたびに短くなっている気がします。Mac OS9でのSherlockMac OS XでのSlotlightもたぶんその現れ。
PC上でデータを格納するのに、ながらくディレクトリ(やフォルダ)の階層構造が使われていますが、数十ギガバイト、数百ギガバイトというサイズで階層構造になっていても人の頭では覚えていられません。
以前なにかの雑誌で「わたしはディレクトリ(階層構造)が嫌いだ」という意見を見たことがありますが、これも同じことですね。偶然、いま読んでいる本にも関連することが書いてありました。

コンピュータにとって自然なことが人間の脳にとってもそうであるとは限らない。木(ツリー)を生成するには正確な記憶が必要とされ、そればかりはどうしても人間には備わっていないのである。


脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ」169ページ


で、Mac OSの話に戻ると。バージョンが上がるたびに、検索や閲覧の機能がよくなっている気がします。Cover Flowとかだと見た目の派手さに気を取られてしまいますが、それ以外でも細かなところに配慮が行き届いているようです。


さらに広大なネットワークに目を向けてみれば、検索と閲覧が全盛になっているように、大量のデータの中からほしい情報にどれだけ速く簡単に手が届くかが、価値を生むようになっている気がします。


iPhoneと従来の国内の携帯電話の違いも、その見た目とかよりも、この情報へのアプローチの違いにあるような気がします。



脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ

脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ