エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

すごいことを見る者にすごいと意識させないということ

昨日、舞台版「千年女優」を観てきました。素晴らしかった…。
…と、その感想はひとまずおいといて。


会場で販売されていたパンフレットと2009年の初演時の舞台をおさめたDVDとサウンドトラックCDを購入。

そのパンフレットを読んでいて思い出したことがあったので、それについて。


まず、原作を手がけた今 敏監督の舞台の感想がありました(これは今監督のオフィシャルサイト「KON'S TONE」のブログからの抜粋で、いまでも読むことができます)。その中の一節にこんなことが書かれています。

全体に舞台版『千年女優』は音響効果もとても素晴らしい。
パーフェクトブルー』以来、ずっと音響監督をお願いしている三間さんはこんなことを仰っていた。
「我々の仕事はいかに気にならないか、いかに何でもないかということ」
私も自分の仕事においてまったく同じ考え方をしている。
それが作画、美術、音響その他何であれ出しゃばって悪目立ちしていいものなど一つもない。


http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/367


またパンフレットには役者さんたちのトークが収録されていて、そこではこんなやりとりがされています。

中村 でも「頑張ったね」「大変だったね」とは、真っ先に言われたくないって思う。
山根 そうそう。末満さんにも「すごく大変なことをやっているけど、それをお客さんに“大変”とおもわせたらアカン。そういう風に思わせないほど没頭させたい」って言われたから。
前渕 スタイリッシュにね。「こんなこと、何でもないよ!」みたいに思わせないと


これを読んで、あ…と思い出したのがAndroid端末を初めてさわったときのこと。すでにiPhoneユーザだったわたしが初めてAndroid端末に触れたときに感じたのが、操作性がよくないということ。できが悪いという感じでもなく、むしろよくできているのだと思うのですが、使っていてなぜかうっとうしさを感じるんです。
iPhoneを半年以上も使っていてiPhoneに慣れているから、というのはあると思います。でもそれだけではどうにも説明できない違和感。すくなくとも初めてiPhoneに触れたときは、初めて使うのにも関わらずそういったうっとうしさは感じなかった。

実際にふたつの端末、当該のAndroid端末と自身のiPhoneを並べて同じように操作してみてようやく気がつきました。iPhoneのインタフェースの動作はユーザが触れたときに意識されないようにチューニングされている
人の動作は、始まり、途中、終りでもちがいますし、また始まりと終りではブレが大きい。iPhoneのインタフェースはそれらにきちんと対応している。

…どれもこれも、いまさらわたしが力説するまでもないことかもしれませんが。

そのAndroid端末は、よくできているのだけれども、動きが画一的で、わたしが無意識に予想したような動きをしてくれなかったり、ブレを拾ってしまったり、逆に繊細な動きに反応してくれなかったり。

Android端末にはほとんど触れたことがないので、たまたまその端末がそういった作りになっていただけで、ほかの端末はiPhone同様きちんと作り込まれているのかもしれません。ただどちらにしてもiPhoneのチューニングのすごさはたしかなわけで。気付いたとき、正直、ぞっとしました。


ユーザインタフェースは製品の価値を決めるほどのすごく重要な部分です。その一方で、製品が提供したい価値や機能は別のところにあるはず。だから、その機能にユーザが意識しないでも手が届くようにするようにしなければならない。ゆえに、ユーザインタフェースは意識されない存在でなければならない。


作り手の末席にいるものとして、あらためて、もう一度、肝に銘じておかないといけない。そう感じました。

そして。舞台版「千年女優」を体験してきた。

今回のエントリ。実はこっちの方が本題かもしれない。


そう。たぶん、観てきた、より、体験してきた、のほうが正確。


わたしの貧相な語彙では表現できません。なんかムリに言葉にするとその言葉の意味で記憶が固定されてしまいそうで怖い。それぐらいの体験でした。舞台はほとんど観たことがないので観劇素人ゆえの思い込み勘違いなのかもしれませんが、ほんとうに身も心も震える体験でした。


冒頭のシーン、冒頭のセリフですでに感極まってしまい。公演中ずっと泣くのをこらえるのに必死でした。
それは、その日の朝に原作者の今監督の最後のブログのエントリを読んでいたからというのもあるかもしれません。映画版のテーマ「ロタティオン」を聴いていたからかもしれません。

でも、実際に生身の肉体からあのセリフ(そう、映画版とまったく同じセリフ)が発せられるというその…なんて言うのだろう?…リアリティ?…映画ではフレーム越しに観ていたものの、そのただ中に自分もいるというそんな感じ…?


また、これほど原作に忠実とは思いませんでした。観る者の予想を裏切るというところも。主立ったストーリーとセリフを覚えるほど映画版をわたしは観ているのですが、見事に裏切られました。なのに原作に忠実はどういうことだよとツッコミを受けそうですが、そうとしか言いようがなくて(苦笑)。きちんと笑いをとるところは押さえてあったり(笑いは本場なので原作以上か)。

音楽も、それにあわせて舞う千代子の姿も素敵で。

伝説の「さなえ全部盛り」も目にすることができました(笑)。


舞台後、受付に下りてこられたお二人の役者さんには直接お礼を伝えさせてもらいました。伝えずにはいられなかった。そして、「千年女優」をうみだした今監督を始め、演出の末満さん、役者さん、スタッフの方々、そのすべてのみなさんにほんとうに、感謝。