エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

オブジェクト指向へ跳躍

C++を使ってソフトウェアの開発をしているわけですが。「オブジェクト指向っぽくないな」という設計に出会います。
オブジェクト指向は普通の技術者が普通に使う普通の技術だと、今では思っているのですが、それとて学ばずにその技術が身に付くわけもなく、どこかで学習してたはずなのですが。自分自身、どうやって学んできたかがはっきりしません。だから「オブジェクト指向っぽくない」と指摘することはできても、どう考えればいいのか、を伝えることができません。これが凄くもどかしい。

テレビ番組で、何かの映像を表しているまだら模様を見せて、元の映像が何かを考えるというのを見かけます。最初は本当に意味をなさないまだら模様にしか見えないのですが、それがある映像とわかったとたん、その映像にしか見えない。わからないうちは説明されてもわからなかったりするのに、一度わかってしまうとわからなかったときの感覚がわからなくなってしまうほどに(わかりにくい文章だ)。

オブジェクト指向を学ぶときにも、こんな不可逆な思考の跳躍が起こってるんじゃないか、と感じます。わからないうちはさっぱりわかならい。わかるようになるとどこにでもオブジェクトが見えてくる。そんな感じ。

わたしはC++を一番好んで使っているわけですが。さて、どこでオブジェクト指向へ跳躍したのか。それがわかれば学習の手助けもできるはず。と思ってみたものの。

わたしはDelphiオブジェクト指向に開眼したのだと思い出す。役に立たない。