エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

「先輩」は後輩が作る

少し前に、理不尽な要求に、ぽん!と感情を破裂させてしまったことがあります。実際に声を荒げたり、暴れたりしたわけではありませんが、自分の中では、はじけてました。面白いのは、自分でも感情的になっていることがわかっていることです。それに、要求を受けることがその場をおさめることも、自分が受けるつもりでいることも、わかっています。でも感情がおさまらない。そのとき、落ち着かせてくれたのは先輩の係長でした。
その係長、普段は結構不満の感情を隠さず表に出す人なのですが、こんな後輩を見てなのか、なだめ役になってくれました。

昨日、理不尽な要求に、後輩が怒りました。言葉や行動が荒れたわけではありませんが、直後のメールの文面は、かなり怒りに満ちていました。その要求に、同じように怒りを感じつつも、気がつくと不思議なことに、なだめ役に回ろうとしている自分がいる。しかも、単に一方的になだめるのではなく、どういう行動をとってもらうのが、本人にも相手にもよいことなのか、と頭を巡らしている。そこに後輩がいなかったら、そんなことは考えもしなかったでしょう。

もしかすると。この間の係長も、そんなことを考えていたのかもしれません。